プリキュア5腐女子っぽさランキング
独断と偏見によりプリキュア5出演者の潜在的腐女子ポテンシャルを想像してみる。
1位:新聞部のマスコさん
この人は鉄板だね!腐女子っぽさダントツ1位だね!
その取材力でココとナッツの絡みシーンをスクープしてくださ…い……!
マスコさんが好みそうなカプ→俺様攻×強気受
2位:かれん
周りから見ると完璧な才女なのに、自己評価が低そうなところがもう。
そんなかれんが大好きだー。
かれんが好みそうなカプ→わんこ攻×眼鏡受
3位:こまち
文学者やおいが好きだったりしたら嬉しいなぁ。
一度腐の道にはまったら、100Pぐらいある小説新刊を毎月発行しそうな気もする。
こまちが好みそうなカプ→年下攻×親父受
4位:アラクネアさん
たぶんタカムラー。
アラクネアさんが好みそうなジャンル→主従、下克上
5位:うらら
おたく化するとしたら、いわゆる消費型オタクになりそうな。
うららが好みそうなジャンル→総受け
6位:のぞみ
現状への強い不満も強い満足感も両方ない感じだから、腐女子化するにはパワーが足りないぽい。
のぞみが好きになるかもしれないジャンル→健気受
7位:りん
どんじり。体育会系の腐女子さんってみたことないかんなあ…。
ガチホモ雑誌をなんかの間違いで読んで、ガーンとショックを受けつつも惹かれるものを感じるとかならあるかなぁ。
心情的には腐女子化よりもおこげ化のほうがありそうだ。
私の考えたコワイナーコーナー
以上の考察を踏まえて、これからコワイナーになって暴れて欲しいアイテム!
便器。
いや、無理だろうけどさ。
でも和式も洋式もトイレって愛らしい形してるよね。まるっこくて。
プリキュア5のコワイナーデザインについてつらつらと
コワイナーの怖さってぬるいよなぁと、プリキュア5を見てて思った。
あいつら「コワイナー」って自分で言いながら襲い掛かってくるくせに、全然怖くない。なんでそんな演出なのか一瞬不思議に思ったけど、あーこれっていとけない女の子向けのアニメだからかと気付いて納得。大きなお兄さん向けの描写とか腐った女の子向けの描写ばっか気にして見てたから忘れてたよー。バカだね。
多分、子供が本気で引くほど怖い描写をするのは、アニメ作ってる人たちにとっても本意じゃないだろうから、自主規制というか、過激すぎない表現のポリシーみたいのを考慮してデザインしてるんだろうな。
作品を作る側にある表現の自由の規制と、表現の自由の間を綱渡りしなきゃいけない子供向けアニメって、難しいだろうなー。
そう考えると、コワイナーはあえて直接的な禍禍しさとは違うポイントで勝負したデザインにしてるんじゃないかと思えてきた。
潰れそうな建物の中にある古ぼけた絵とか、緞帳のスキマとか、子供の頃なぜ怖いのか説明できないけど怖かったものがコワイナーの原料になってることが多いから、そういうコンセプトなのかも。
無機質な物質が仮面の力で有機的に(ぐにぐにした形)変化するのも面白いし。
個人的には東屋の屋根に仮面がくっついて柱がグルグルしながら長い足にかわる描写がすきでした。
あと、不満点といえば、コワイナーはみんな灰色っぽいから、もうちょっと色のバリエーションがあったら面白いのになあと思わんことも無い。けど、プリキュアの衣装が色とりどりだから、それをひきたてるためには仕方ないのかなー。どっちともカラフルだったら画面が見辛くなるし。
燃えがわからない
いやあああもう、じじいかっこいいなあ!興奮するなあ!
釘付けで涙目になりつつ鑑賞しましたよ。
しかしこれを何回も繰り返し見ているうちに、なんだか己に対するもやもやした気持ちが胸に浮かんできた。
自分はこういう燃える内容の作品が大好きなのに、なんで燃えがよくわからないんだろう、という疑問。
燃える作品を見ている時には、その作品に完全に共感しちゃってるのに、
燃える作品を頭の中で創作(=空想・妄想)しようと思ったらさっぱりできない。
萌えならわかるんですよ。自分なりの萌えポイントを可愛い女の子に託して描くことで形に出来る。
(あくまで自分なりのものだから、沢山の人に共感してもらえるような絵を描く技術はないですが)
やおいも当然わかる。っていうかやおい妄想をするのは息をするのと同じくらい日常的なので、わかるとかわからないとか判断すること自体バカらしいっつーか。
でもこれが”燃え”になるとからきし駄目なんだよなぁ。なんでだ。
そこで、やおいと燃えを比較してぱっと思いついた理由はこれ。
燃えるシチュエーションてのは主人公が世界中からハーレム状態になるものが多いから(元気玉みたいな)、主人公×「誰でもいい誰かみんな」になってしまって、腐女子として惹かれるような関係性が薄くなるゆえに、いまいち燃えをイメージできないのかなということ。
けれど、宿命のライバルとの対決みたいなやおい的に美味しいシチュエーションも燃えに含まれてるから、その理屈は的外れな気がする。
これはやおいと燃えを単純に比べるだけじゃなくて、もっと具体的に考えてみなきゃわからないかも。
とりあえず、自分とは逆に息をするように”燃え”を語ることができそうな人を挙げてみる。
こんな感じかな。
少年漫画家の人は、少年漫画向けの”燃え”シチュエーションを沢山知ってるし、また意欲的に燃えそうなことを探したり、生み出そうとする探究心があるから燃えを作品にできるのかなぁと。
なんというか、読者を燃えさせるテクニックを蓄えてる。
私の場合ジャンプ黄金期の漫画をまともに読んで感銘受けた経験もなければ、ブルース・リーの映画もちゃんと見てないという始末なので、燃えに対する意欲とスキルが低いってのはある。
これは重大な原因の一つだけど、でもそれが全てではない気がする。
じゃ、島本和彦やヤンキーはどうだろう。
彼らは燃えを生き様にしているように見える。
島本先生の場合、燃えを冷静に考えるとギャグにしか見えなくなることを利用しているし、ヤンキーは身勝手を正当化するために燃えを利用する節がある。
それでも、それぞれの燃えには嘘が無いと感じる瞬間がある。
それはたぶん、燃えを語る人物が基本的に自分を肯定しているからなのではと思った。
萌えにしろやおいにしろ、私がなにか表現したいと思ったときには、まず最初に
自分を否定する所から入る。
萌えキャラを描く時は、自分には無い可愛さをキャラに求めるし、
やおいは自分とは違う存在同士(男性)を結びつけて自分を消すというか、自分から切り離す。
燃えは他者を否定する事(=ライバルやラスボスを全力で倒すこと)も肯定する事(=仲間やヒロインを守り思いやること)も、まず自分を肯定するところからはじめなくちゃいけない。
だって、自分以外にはできない事をやりとげるのが燃えだから。
燃えを表現したかったら、嘲笑*1されることも覚悟しなくちゃいけない。
それに、もし自分が地球を救うような重い責任を背負わされるとしたら、いやだしこわい。私じゃ無理ってなる。想像もできん。
それをするぐらいなら、ギャグもしくは鬱な不条理展開を考える方が個人的には楽なのだ。
と、いうことは燃えを表現する事を怖がらないことが燃え創作への入り口なのかな。
うん、なんか気が楽になってきた。
萌え・やおい・燃え、どの表現がいいとか悪いとかじゃなくて、自分の惹かれるモノは理解していきたいもんだ。そう思いました。
*1:未来永劫全開バトルってなんだよwそれ勝てないんじゃね?とか